2025 Issue08
Behind the Scenes

Hitting the Right Note奏でる人

パレスホテルとエンターテインメントのつながりは深い。1960年後半からホテルのステージでは、レイ・チャールズ氏をはじめとした世界的ミュージシャンを迎えてショーを開催し、人気を博した。そして1972年5月27日、20世紀を代表するジャズピアニストのひとり、オスカー・ピーターソン氏が、ラスト・ザ・トリオとして自らの最後のトリオ演奏の公演のひとつとしてパレスホテルで演奏。その熱気は、ライブアルバム『The Oscar Peterson Trio in Tokyo Live at the Palace Hotel』におさめられ、今も音源配信サービスを通じて楽しむことができる。半世紀の時を経て、パレスホテルのエンターテインメントの神髄は今、ピアニスト、グレッグ・マッケンジー氏により受け継がれ、世代や国籍を超えてゲストを魅了している。

「ザ パレス ラウンジ」にある、白いスタインウェイ&サンズのグランドピアノ。夜8 時になるとその前にはグレッグ氏が現れ、ラウンジやロビーに優しい音色が溢れ出す。グレッグ氏は、アメリカ出身のプロのジャズピアニストであり作曲家だ。彼は2012年のパレスホテル東京の開業時から12年以上にわたり、ロビーラウンジでピアノを演奏してきた。これは、ホテルで演奏するミュージシャンとしては異例の長期間のこと。だからだろう、彼はパレスホテル東京を「自分にとっての家族のようなものだ」と言う。

彼が音楽に興味をもったのは子どもの頃、母親が掃除のときにかけていたレコードがきっかけだった。流れている曲をオルガンでまねて弾いていた彼に母親が音楽のセンスを感じ取り、10歳でオルガンのレッスンを始める。その後はトランペット、サクソフォン、バスクラリネット、ドラムなど多様な楽器を演奏し、高校卒業を前に管弦楽団America’s Youth in Concertへの入団を認められた。そこではバスクラリネットを担当し、ニューヨークの名門カーネギーホールでの演奏ののち、4週間に及ぶヨーロッパ・コンサートツアーに参加している。「ロンドン、パリ、ウィーン、フィレンツェなど欧州各地を演奏して回りました。この経験がプロのミュージシャンを目指すきっかけです」

その後、音楽大学に進学し、それまで自分の内なる情熱であったピアノを専攻することに。「当初はパイプオルガニストになりたかったのですが、それだとキャリアにつながらない。ピアノを選んだのは、音楽を職業にするという決意でもありました」

卒業後はワシントンD.C.やロサンゼルスなどで働き、1994年からニューヨークに。当時ピアノを弾いていた、ワールドトレードセンター最上階にあったレストランバー「Windows on the World」のマネージャーが、東京のホテルにシガーバーを開くということで初めて日本に招かれた。その後、このマネージャーは世界各地でホテルの開業に携わり、そのつどグレッグ氏をミュージシャンとして招聘(しょうへい)する。こうした契約は半年単位が基本だそうで、パレスホテル東京での10年以上のキャリアというのは実に希有な例といえる。この長年にわたる“ 家族付き合い”はコンシェルジュがホテルリニューアルオープンに際し、彼に総支配人を紹介したことから始まった。もともとジャズ音楽が好きだった総支配人は新しいホテルのロビーラウンジは、ニューヨークのホテルのようにトリオやカルテットの生演奏がホテルロビーのアンビアンスをつくり出すと思っていた。彼の演奏を何度も聴きに行き彼の演奏に惚れ込んで専属契約をし、現在に至っている。

「世界のナベサダ」こと日本を代表するサックス奏者の渡辺貞夫氏との縁も、ホテルならではの出会いだ。「別のホテルで音楽監督を務めていた頃、私の演奏を聞いた渡辺氏が声をかけてくださったのです。意気投合した私たちはスタジオ録音を何度も行い、その曲が彼のラジオ番組で放送されたこともありました。2014年には2週間の九州ツアーにピアニストとして参加。伝説のミュージシャンとステージを共有できたことに今でも感謝しています」

ホテルで演奏するのは、オリジナル曲のほか坂本龍一氏やビル・エヴァンスなどが多いという。「昔からYMO の曲をよく聴いていたのですが、坂本龍一がそのメンバーだったことは知らず、後々つながって驚きました」。影響を受けたミュージシャンを尋ねると、先述の2人に加えキース・ジャレット氏とオスカー・ピーターソン氏を挙げる。

「もともと私の嗜好はジャズ寄りなのです」。とはいえ、ホテルでは日本の童謡も弾くし、リクエストを受けることもあるそうだ。「ビジネストークに集中しピアノは聞こえていそうもなかったビジネスマンが、クイーンの『地獄へ道づれ(Another One Bites the Dust)』を弾いたら急に拍手してくれたりと、意外な反応を楽しんでいます」

多くの一流ホテルが生演奏のサービスを実施しているのは、音楽にはおもてなしの力があるからだ。グレッグ氏は言う。「ホテルに人が戻ってくる、また来たくなるのは、きれいな設えやおいしい食事なども理由ですが、それらと同様に“ 楽しませてもらえたか”も大切だと思います」。だから演奏中のグレッグ氏は、ラウンジにいるお客様のことを考え、その反応を見ながら選曲することも多いのだとか。「お子さんがいたらディズニーや映画の音楽、年配の方が多ければフランク・シナトラ、スペイン語を話す方がいたらラテンの曲など選曲もその時々で考えます。デートしはじめの若いカップルと連れ添って数十年の夫婦とでは、同じカップルでも喜んでもらえる曲は違いますから」。それもすべて、お客様とつながっていたいという思いからだ。

ホテルでは音楽がお客様の会話やムードの邪魔になってはいけない。だから、グレッグ氏はお客様とコネクトできているか常に注意を払う。お客様のパレスホテル東京で過ごす時間が素敵なものになるように。今日もグレッグ氏のピアノがラウンジに響き渡る。

Text: Kazuhiro Nonaka
Photos: Sadato Ishizuka

この記事は、2025年2月発行の「THE PALACE」Issue 08掲載の内容をベースに、2026年2月現在の情報として掲載しています。2025年の取材撮影時の写真やテキストを使用しているため情報が更新されていない部分もございます。ご了承ください。

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